
慌ただしく、スピードを求められる原題社会において、加工食品は現代人にとって日常的なものになっています。日本においては高い確率で食品添加物が使われています。一方で「添加物」というものを意識する人が最近増えてきています。
一言に「添加物」といっても、様々な役目があり、どのように判断したらよいのか、見分けや選択が難しいという声も多くなっています。各自がどのように捉え、判断し、選択するかは、勿論自由ですし、各自が決めるものです。
今回のブログでは、現時点での日本における「添加物」の役目やその実態を見ながら、各自がどう判断したらより良いのか、私なりの考えを含め3回(①役目、②安全性の判断、③選択の仕方)にわけてお伝えしていきます。
前回の「①役目」では、法律的な視点で添加物の定義や役目をみてきました。添加物を日常的に食していることが改めて気付かれたと思います。それだけ身近になっているということは、安全性についてはどうなのか、気になるところです。
今回の「②安全性の判断」として、法的なことと、私なりの見方についてお伝えします。
1.日本における「食品添加物の安全性」について
日本においては、厚生労働省が安全性について「食品添加物の安全性について食品安全委員会による化学的評価を受け、人の健康を損なう恐れのない範囲に限って、食品添加物を使用できる食品や最大添加量等の使用基準を設定し、
使用を認めています。これらの基準は、国産品であれ輸入品であれ、我が国に流通する全ての食品に適用されます。」
としています。
様々な動物実験を通して安全性の確認が行われています。
例えば
①二世代にわたって、生殖機能や新生児の生育におよぼす影響
②催奇形性試験( 実験動物の妊娠中の母体に「添加物」与え、胎児の発育、生育におよぼす影響
③発がん性の有無、抗原性試験、アレルギーの有無、細胞の遺伝子や染色体への影響
などです。
現代化学をもってして、どれくらいの危険性があるのかを見定め、基準を作成し、
それに則て使用しているわけです。
使用を認めています。これらの基準は、国産品であれ輸入品であれ、我が国に流通する全ての食品に適用されます。」
としています。
様々な動物実験を通して安全性の確認が行われています。
例えば
①二世代にわたって、生殖機能や新生児の生育におよぼす影響
②催奇形性試験( 実験動物の妊娠中の母体に「添加物」与え、胎児の発育、生育におよぼす影響
③発がん性の有無、抗原性試験、アレルギーの有無、細胞の遺伝子や染色体への影響
などです。
現代化学をもってして、どれくらいの危険性があるのかを見定め、基準を作成し、
それに則て使用しているわけです。
2.”化学的評価“による安全性は本当か
ここからが、私の見解になるのですが、果たして、全てに危険性がないと言い切れるかには疑問が残ります。
長い人類の歴史の中で、昔(少なくとも戦前まで)は、こういった物がない状況でも、食物を上手く保存したり、環境の許される範囲で美味しく食してきました。しかし、わずかここ100年に満たない期間で、口にしなかった物を、日常的に摂取していることをみると、安全性について安易に考え過ぎている気がします。
この急激な変化に、「自然の一部である私たちのカラダが適応できるのか」ということです。
勿論、❝化学的評価❞で安全とみなされた物の中に、本当に安全な物もあると思います。
しかし、全てが安全だと我々人間が簡単に断定できる程、私たちのカラダ(=自然)は、単純ではないと考えます。
例えば、アレルギーを代表とする自己免疫疾患など、治療が困難な疾病との本当の関係性がこの短い期間だけでは解り得ないように思えます。原因を特定できない様々な疾患を抱えている方々が、出来るだけ自然な物を食することによって改善する状況を現場で多くみてきた私としては特にそう感じています。
すなわち「本当に安全か安全でないかは誰にも解らない」、よって「❝真実は解り得ない❞ので、結局のとのころは各自がどう考えるか」ということになります。「試験によって安全とされているから問題無」とするか、「本当に安全なのか真実は分からないので安全でない」とするか、どのように考えるかは、自身で判断し、決めるしかないのだと思います。
長い人類の歴史の中で、昔(少なくとも戦前まで)は、こういった物がない状況でも、食物を上手く保存したり、環境の許される範囲で美味しく食してきました。しかし、わずかここ100年に満たない期間で、口にしなかった物を、日常的に摂取していることをみると、安全性について安易に考え過ぎている気がします。
この急激な変化に、「自然の一部である私たちのカラダが適応できるのか」ということです。
勿論、❝化学的評価❞で安全とみなされた物の中に、本当に安全な物もあると思います。
しかし、全てが安全だと我々人間が簡単に断定できる程、私たちのカラダ(=自然)は、単純ではないと考えます。
例えば、アレルギーを代表とする自己免疫疾患など、治療が困難な疾病との本当の関係性がこの短い期間だけでは解り得ないように思えます。原因を特定できない様々な疾患を抱えている方々が、出来るだけ自然な物を食することによって改善する状況を現場で多くみてきた私としては特にそう感じています。
すなわち「本当に安全か安全でないかは誰にも解らない」、よって「❝真実は解り得ない❞ので、結局のとのころは各自がどう考えるか」ということになります。「試験によって安全とされているから問題無」とするか、「本当に安全なのか真実は分からないので安全でない」とするか、どのように考えるかは、自身で判断し、決めるしかないのだと思います。
3.「安全ではない」=「添加物をとらない食生活」を選ぶということは

前項の最後、「安全でない」と考えた場合には、“どう捉えるか”から一歩踏み込み、“どう選択(行動)するか”ということへとつながります。考えるだけでなく、「行動する」となると、簡単ではないことも出てきます。実際に生活を変えることになるので、可能かどうかという現実的なことと相対することになります。
❝添加物無し❞の食生活は人によってはハードルがとても高くなるのです。
現場で多く目にするのが、「疾病に苦しみ、ありとあらゆる治療をしても改善しないために、他にやれることがなくなった結果、半信半疑で食事を変えることに取り組んだ」というケースです。要は、日常にさほど不便を感じない、緊急性がない場合、「食事を変える」という地味で手間のかかることになかなか取り組めないのが現実です。
忙しい現代、簡単でないことは、よく解ります。
最終的には、自身が「何を」「どの程度」求めているのかによると思います。
・どこまで健康や味にこだわるのか
・今の疾病にどれだけ苦しんでいるのか
・どれだけ病気などを恐れているのか
など、様々でしょう。
その上で、「労力(手間)」「お金(経済的負担)」、そして「美味しさ」などを天秤にかけて、各自がどこまでどういう方法をとるのかを判断していくことになるのだと思います。
❝添加物無し❞の食生活は人によってはハードルがとても高くなるのです。
現場で多く目にするのが、「疾病に苦しみ、ありとあらゆる治療をしても改善しないために、他にやれることがなくなった結果、半信半疑で食事を変えることに取り組んだ」というケースです。要は、日常にさほど不便を感じない、緊急性がない場合、「食事を変える」という地味で手間のかかることになかなか取り組めないのが現実です。
忙しい現代、簡単でないことは、よく解ります。
最終的には、自身が「何を」「どの程度」求めているのかによると思います。
・どこまで健康や味にこだわるのか
・今の疾病にどれだけ苦しんでいるのか
・どれだけ病気などを恐れているのか
など、様々でしょう。
その上で、「労力(手間)」「お金(経済的負担)」、そして「美味しさ」などを天秤にかけて、各自がどこまでどういう方法をとるのかを判断していくことになるのだと思います。
まとめ
今回「②安全性と判断」を読んでどのように感じたでしょうか。
安全性について❝真実は誰も解らない❞わけですから、繰り返しになりますが、各自がどう捉え、どう判断するのか、人それぞれということになります。また、そこから一歩踏み込み、さらにどう行動するかも状況によって変わってきます。
程度に差はあっても、「添加物を減らしたい」と思われている方は、次回の「③選択の仕方」を参考に、各自で納得のいく方法を見つけて頂ければと思います。
安全性について❝真実は誰も解らない❞わけですから、繰り返しになりますが、各自がどう捉え、どう判断するのか、人それぞれということになります。また、そこから一歩踏み込み、さらにどう行動するかも状況によって変わってきます。
程度に差はあっても、「添加物を減らしたい」と思われている方は、次回の「③選択の仕方」を参考に、各自で納得のいく方法を見つけて頂ければと思います。