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初夏の野花が毎年わたしに囁くこと

・綺麗だけど、駆除の対象にもなるシャガ

東京では、既にシーズンを終えた、シャガとドクダミ

シャガは、“私の庭”のような高尾山の6号路(水のと緑の道)にたくさん咲きます。
4~5月にかけて、シャガの花がさく6号路入り口付近が私は好きです。

白と薄紫に黄色の模様が入ったシャガの花、この色の組み合わせと、花びらの形が、とっても美しいと思いませんか。
でもシャガって、そこらじゅうにたくさん咲いいて、花の期間も比較的長めのせいか、こんなに綺麗なのに、あまり注目されない気がします。
ハイカーたちもあまり気に留めません。

強いこともあり、駆除の対象になったりもするのです。
地下茎が広範囲にはってしまうようです。

・ドクダミを飾るのはナンセンス?

この6号路だけでも、この季節は、あまり見ることができないセッコク(ラン科)やイナモリ草の可愛い花も見られます。
皆さん、これらの花は、こぞって望遠カメラや至近で撮影しています。
イナモリ草なんて、小さすぎて、踏みつけてしまいそうなんですが、周りにはたくさんの人だかり。

これらの花、確かに素敵なんですが、私はシャガの花がやっぱり綺麗だなぁと思うのです。
シャガがたくさん咲いている一帯を遠目でみたり、至近距離でじっくりと観察してみてみたり。

同じく、住宅街の中でこの季節に咲く、ドクダミの花。
“ドクダミ”と検索すると、出てくる言葉が“ドクダミ駆除の方法”などがたくさん。
それだけ、ドクダミは強くて、庭造りなどにおいては強敵なのでしょう。
確かに、昔、ドクダミを取り除くのに悪戦苦闘していたご近所さんを思い出しました。
こんなときは本当に迷惑な存在で、可愛いなんて、甘っちょろいことを言ってる場合じゃないのでしょう。

しかし、私は、この季節、近所の道端に生えているドクダミをちょっと頂いて、花瓶にさすのが恒例です。
その話を知り合いに話したら、「えっ!ドクダミを飾るの?!」と笑われてしまいました。

えっー、私って変?と一瞬思ったりしますが
偶然にも、この後のハイクで、ドクダミの花をカメラでバシバシ撮っているオジサンとすれ違ったり
古い友人が、インスタで私と同じように花瓶にさしたドクダミの写真をアップしてたり。

私もこのオジサンも友人も、ある意味、都会暮らしで、自然に飢えてるからなのでしょうか、
ああ、同じようにドクダミを好きな人がいるんだなぁと、なんだか嬉しい気持ちに。

私はこのドクダミの白い花が、シンプルに可愛いなぁ、といつも思うのです。
小さな花瓶にさして、デスク脇に置くだけで、なんだかパワーを感じます。
切り花をお店で買ってきて飾ることもあるのですが、こういった野花というか雑草のような花でも、いいと思ったものを飾るのが大好きです。むしろ、こういった小さな野花のほうが、デーブル周りなどにあるとテンションがあがります。

・色眼鏡で見てしまう私たち

高価な切り花と、振り向かれもしない雑草のような野花。どちらも綺麗なはずなのですが、人間は、貴重さや値段、人気度や皆の評価で、ものを見てしまうことがあるんだなぁ、とドクダミとシャガをみていつも思うのです。

野花の素朴な魅力を見出すことができるのは、良いなどと言いたいのではなく、人って、そうやって、シンプルにその存在をみるのではなく、そこに付随するいろんなもので、その物や事をジャッジしたり、区別したりしてしまうんだなぁと。私もその一人であって、そうやって人や物事を見てしまうところが有るなぁと思ったりします。
ただ、シンプルに「可愛い」「素敵」「大好き」と、有るがまま、自分の感じたままで、良いも悪いもなく、それ以上も以下もないはずんなんだけど。

ちょっと、極端な例かもしれないけど
子どもの頃は、「どうして、クワガタはよくて、ゴキブリは駄目なの?」
「ハムスターは可愛がられて、どうしてネズミは怖がられるの?」と、よく不思議に思っていたな…。

大人になると、害虫であり、不衛生だからと、知識がついて、その感覚が当たり前になりますが、子どもは、純粋に、諸々を込みで考えず、ただ、黒々としている虫は虫、ネズミとハムスターは、同じげっ歯類で可愛いんだけど、とシンプルに思うのでしょう。

「薔薇やユリには価値があって、ドクダミやシャガは単なる雑草」

でも、そうやって物事や自分や他人を見てしまうのも、人間だからこそなのであって
私も色眼鏡でみてしまったときには、「あぁ~、そういう目で見てるなぁ」と、そんな自分を受け入れたりもします・・・。

毎年、この季節にシャガとドクダミが、ふと、どういう目で物事をみているのか、
そして「自分自身もそんな風に見ていない?」っと、思い起こさせてくれているのかもしれません。
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